8月18日に放映されたNHK『ニュース7』の「子供の貧困」をテーマにした特集が大きな反響を呼んでますね。
講演会で貧困の実情を訴えた女子高生A子さん(17才)の生活に密着して、子供の貧困問題に迫ったドキュメンタリーなんですが、放送で映った女子高生の部屋にあるグッズなんかから、そこまで貧困ではないんじゃないかという批判が起こってるんですね。
普通、こうしたテレビ放映では、放送によるバッシングや偏見も予想されるので、本人は匿名で顔を隠すケースがほとんどなんですが、この女子高生は、名前も顔も晒して、部屋の中まで写されています。
いろいろその動機を憶測する人もいますが、高校生でそこまでするにはそれ相応の勇気がいりますよね。
きっと、この子なりに社会に訴えたいものがあったハズでして、それを曲解するのはいかがなものかと思ったりするワケです。
年々深刻化する「相対的貧困」。子供の相対的貧困率は16.3%。6人に1人が貧困であると言われています。
相対的貧困は、収入の多い順に並べてちょうど真ん中にくる人の収入の半分に満たない収入の人をいうそうです。
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つまり、今日食べるものがなくて餓死寸前、ということではなくて、その時々で世間一般の収入水準に比べて相対的に貧困である人をいうワケです。
最近、非正規社員の貧困とか老後破産とか、何かと貧困がクローズアップされるわけですが、そもそも貧困とは何か、を定義するのは難しいことです。
この女子高生が、相対的貧困の定義にはまる家庭環境であれば、ウソを言っているわけではないので、非難される筋合いはありません。
恐らく非難しているような人は、自分の収入や生活水準と比べて、自分はもっと貧しい暮らしをしているのにこの女子高生は贅沢だ、そんな贅沢な女子高生は貧困とは言えない、と言いたいのでしょう。
しかし、貧困の程度を競い合うかのようにバッシングすることには何の意味もありません。
病気や家族の問題など、特別な事情がなく、貧困であるのは、基本的は本人の自己責任です。
人生の中で自分で判断して選択してきた結果なので、誰の責任でもありません。
そもそも貧困であると本人が自覚すれば貧困でしょうし、そうでなければ貧困ではありません。
例えば、富裕層とは、いくら以上の収入を持つ人か?と質問すれば、年収の多寡によってその答えは異なってきます。平均的な年収の人は一千万以上と答える人もいれば、年収三千万の人は一億以上と答えるかもしれません。
貧困も同じで質問する人によって、その答えは変わるハズです。
年収100万円でも都内で賃貸で苦しい生活している人もいれば、いなかで自給自足のゆとりある生活をしてたまにアルバイトをしているような人もいます。
つまり、幸福で満足している人にとっては、貧困が問題になることはあまりないのです。
貧困だから不幸になる、というのはひとつの思い込みだと思うのですね。
不幸な人が貧困でもある、という事実は多いかもしれません。
何が言いたいかというと、貧困だと思っている人は、知らずの内に思い込みや固まった考えで前向きな行動が取れなくなっている人が多いのではないかと感じるのですね。
もちろん、どうしようもない事情があって貧困である人は、国の社会保障で救われるべきです。
貧困だから、という理由を最初につけてしまうと、すべての行動が制限されてしまいます。
貧困だから、夢は持てない。貧困だから結婚できない。貧困だから勉強しても報われない。貧困だから安時給の雇われ仕事しかありつけない、貧困だから自分には社会一般的な暮らしは許されない・・・
お金を使わなくてもチャレンジできることはたくさんあります。
貧困だと自覚した時からチャレンジ精神は衰退し、前向き志向は減退して、負のスパイラルに陥る危険があるのです。
貧困であっても夢や希望を持って、いつかは・・・という強い意志がある人は、この女子高生を非難することはできないでしょう。
なので貧困は、自己責任。貧困だと思って貧困のせいにすると貧困のまま。
貧困の程度を競ったり、非難することはナンセンス。
貧困であっても、脱する気持ちがあれば貧困にあらず。強いこころはいつか必ず報われるもの。
ただし、子供の貧困は自己責任ではない。
子供は人生の選択をする上で、貧困が理由であってはならない、と思うんですよね。
消費税が上がっても年金受給が先延ばしになっても、学校全部にIT機器が配置されたり、授業料が無料になったり、奨学金制度が充実されるなら、子供がいない人も含めて大人はがまんしないといけません。
広い心で考えれば、少子高齢化の先に日本が国力を保つには、今の子供たちが十分な教育を受けて得意分野で能力を発揮してくれるのが一番です。
そんな社会ができれば、今ほど貧困が問題になることもないんじゃないかと思ったりします。
この記事へのコメント
うっちー
今回も、素晴らしい意見の記事ですね。
私は、このNHK「貧困女子高生」の番組は見ていなく、今、チラっとネットで概要を読みました。
子供の貧困については、ずいぶん前から問題になっていますね。
では、貧困女子高生ですが・・・・・・バッシングされているのですね。
貧困がどうであれ、バッシングはイジメなので良くないですね。
こういう批判するという行為が、イジメなのだと思います。大人が子供にイジメの手本を見せているようなものです。
貧困・・・・・・。難しいですね。
teddyさんの記事を読んで、ぱっと頭によぎった言葉は、「自己肯定感」ですね。
この自己肯定感は、日本人は世界的に見ても低いそうです。
確かに、周りを見渡しても、自己肯定感が低い人は多い気がしますね。
負のスパイラルに陥っている人、よく見かけますね。
私は、正直、ポジティブすぎるので、こういう人の気持ちは分かりません。理解したくて、何度も話を聞いても、本人は現状維持で居たがるのですよね・・・・・。
努力次第で、どうにでもなるのに、行動に起こせないのですよね・・・・・。
大人は置いといて、子供の貧困ですが・・・・。
子供に対しては、胸が痛みます。子供は、犠牲になっているのですよね。
それについては、私も何か活動をしていきたいと考えている所です。
こんな風に思えるのも、娘のおかげです。
考えている事は、私も働いて、税金を払う。ボランティア活動をする。
育児、家事をしながら、少しずつ活動慣れを、したいものです。
涼しくなりましたね。今週は天気もあまり良くないみたいなので、風邪に注意してくださいね。
teddy
ご意見ありがとうございます。
貧困はなかなかナーバスで論じるには難しいですよね。
ただ、どんな状況でも諦めてしまえば、考える悩みは無くなりますが、それ以上の改善は期待できないですね。
言いたいのは、考える上でハードルを高くし過ぎているような社会風潮があるんだと思うんですよね。
例えば、ゴミ箱から雑誌を拾って100円くらいで売ってその日暮らししている方とコンビニでバイトして同じくらいの収入を得ている人がいるとして、どちらが立派かと言えば、どちらも金銭的な社会貢献度は同じなワケですよね。
毎日、コンビニでバイトして頑張っている人と大学の講義を月数回持っている先生と収入が同じであれば、ある意味社会への貢献度は同じだと思うのです。
要するに社会的に認められるような勤め人にならなくても自分のやり方で社会に貢献している人はたくさんおられるワケでして、何も社会的地位が高かったり、税金を払うだけが立派な人ではないと思うのです。
自分の生き方で社会に経済的価値を提供していれば誰も文句は言えません。後は、自分が納得しているかどうか、貧困だと思っているかどうか、本人の問題であるワケでして、それを他人が一律の定義で貧困かどうかを論じるのはナンセンスだと思うのですね。
そうでないと、毎日ボランティアでがんばって収入の低い人は貧困でダメな人、となってしまいます。
そういう意味では、前向きに行動する人には社会的な評価や社会保障が充実しているような仕組みがあればいいですね。
うっちー
今日は、雨が降ったり止んだりですね。
貴重なご意見ありがとうございました。本当、貧困を論じるのは難しいですね。
でも、こうして考える機会がある事を嬉しく思います。
日々頑張っている方は、収入や職種関係なくカッコイイですよね。
私達大人は、次の世代の若者や子供たちの為に頑張っていきたいですね。
teddy
貴重なご意見ありがとうございます。
がんばっている人がいて、それを応援する人もいる、というのは、お互いがプラスの影響を受けるので、いい姿ですね。
プロゴルファーは、メンタルなスポーツでもあるのですが、いっしょにラウンドしている方の最後のパットを見て、「外れろ、外れろ」と思う人と「入れ、入れ」と応援する人とでは、後者の方が圧倒的に自分もいいプレイをできることが多いみたいです。
やはり人を応援する人には自分にもこころの余裕や前向きな力強さが産まれるのでしょうね。